映画のピックアップする際、どうしたら自信を持ってこれがいい!と言えるようになるでしょうか?【ライムスター宇多丸のお悩み相談室228】
✳️今週のお悩み✳️
宇多丸さん、こばなみさん、こんにちは。私は地元の小さな劇場で働いています。お芝居のほか、定期的に映画も上映しています。映画館のない地域なので、なかなか観られない映画をピックアップして紹介しているのです。上映作品はスタッフが話し合って決めているのですが、悩みとは「私はこの作品がいいと思う!」と自信を持って言えないことです。自分でも、個人的に好きな映画と、お客さんにオススメできる客観的な質の高さとは区別していると思っていたのですが、人と意見が合わないと、自分の主観的な趣味だったのかあ……と落ち込み、自分の感覚が信じられなくなります。自分は開始15分以降ずっと泣いていたほど大感動して、文句なしの名作だ!と思った映画も、「どこで泣くの?」という反応の人もいたりします。宇多丸さんは、ラジオで映画のコーナーを持っていらっしゃいますが、いつも、客観的かつ論理的でありながら、ちゃんと自分の評価軸、価値観を持っていらっしゃるなあと思います。どうしたら、自信を持ってこれがいい!と言えるようになるのでしょうか? アドバイスをいただけたら嬉しいです。
(しまこ・27歳・島根県)
宇多丸:
しまこさん、おそらく上映している映画は、いわゆるミニシアター系というか、質の高いインディペンデント作品などを選んでかけている、という感じですかね。
だとしたらまぁ、たとえばハリウッド・メジャー製の大作のように、世界中の誰が観ても基本すんなりコミットできるよう、最大公約数的なところを狙って作っていたりする映画ではないわけだから、特にその手の作品を観慣れてないようなお客さんが、戸惑っちゃったり、ピンと来なかったりするっていうのも、当然じゅうぶん考えられることではありますよね、普通に。
だからこそ、特定の人にはより深く刺さる、ということでもあるわけだから。
でも、別にそういう「大衆性vs芸術性」みたいな図式の話じゃなくとも、映画というか、なんであれ「作品」というもの全般、受け取り方や評価に、絶対唯一の固定的な「正解」があるわけじゃないんだからさ。映画評に対する反応とか見てると、そこんとこ勘違いしてる人も意外と多そうでげんなりしちゃうんだけど……。
同じ作品に触れても、それぞれまったく意見が違ってて、なおかつどっちも間違ってない、なんてことは、むしろ超当たり前の、大前提でさえあると思うんですよね。
特に「ある映画を観た」っていう体験って、実はどこまでも、「一定の順番で提示された映像と音の連なりに対して、個々人が後から感じる“全体的な印象”」でしかないものだからさ。
どれだけ作品の背景や細部を掘り下げようとも、「映画を観る」ということ全体はやっぱり個人の感じたことのなかにしかなくて、決して客観化とか定量化はしきれないものだろうと僕は考えていますけど。
だから、それこそしまこさんが言っているような、ある作品に対する自分の評価と他人のそれとのギャップにがっかり、みたいなことって、 なにかのジャンルが心底好きな人であれば、大なり小なりいつだって必ず味わっているものなんじゃないかなぁ。
こばなみ:
「自信を持ってこれがいい!といえるようになるのでしょうか」ってことですけど……?
宇多丸:
自信、ねぇ……。
それはまぁやっぱり、「自分が感じたこと」に対する理屈づけや「客観的な」裏づけを重ねていく、そしてそれを的確な言葉にしていく、ということでしょうけども。
さっき言ったように、映画を観るという体験が本質的に個人的なものであるからこそ、それを他者とすり合わせたいという欲求が生まれやすい、ゆえに批評など含めて「映画を語る」行為にもいまだに需要が絶えない、ってことでもあるんでしょうからね。
しまこさんも、なぜその作品を「文句のなしの名作だ!」とまで感じたのか、自分なりに分析したり、資料などに「客観的な」根拠を求めてみたりしたうえで、それを他人にも説得力を持って伝わるような表現に置きかえてみる、という訓練をしていけば、それこそお仕事にも直接活かせるかたちで、自分の感覚に「自信」が持てるようになるんじゃないですかね。
逆に、そういうコミュニケーションの努力はろくにせず、「自信を持ってこれがいい!」ばっかり主張してくる人っていうのがいたとしたら、それはそれでうざいでしょ?
「感想なんか人それぞれでいい、批評とか要らない」みたいなスタンスも、さっきから言ってる意味で理解はできるんだけど、そのレベルの「自説」から一歩も出ずに終わっちゃうというのも、僕はあんま面白くないなぁと思ってて。
それこそ、こっちが最初から最後までボロ泣きしてるような作品に、「どこで泣くの?」みたいな反応が返ってきたら、そりゃ最初はムッとしたり傷ついたりしちゃうのも人情だろうけど、それでも、「そういう見方、考え方があり得るのか!」っていうことがわかれば、それに納得するにせよ頑張って反論するにせよ、その作品に対するこっちの理解も深まったり、見識が広くなったりするわけで、どっちにしても有意義じゃんと思うんですよね。
たとえば、次にその作品を人にすすめるときには、そういうネガティブな意見が出てくるという可能性も踏まえたうえで、こっちも考えて話すことができるわけじゃん。それは明らかにプラスですよ。
ということで、むやみやたらと自分の見方に自信を持つということ自体がいいわけじゃないので、そこを目標・目的にするのはやめたほうがいいと思いまーす(キッパリ)。
そんなことより、もっと実際にしまこさんたちの役に立ちそうなアドバイスしていい?
しまこさんもスタッフも、せっかくいい映画を選んでいるんだから、ただ上映するだけじゃなくて、その良さが地元のお客さんにもしっかり伝わるよう、「啓蒙活動」的なもうひとアクションを入れてもいいんじゃないかな、と。
一番わかりやすいところでいえば、上映前でも上映後でもいいから、定期的に作品の関係者や専門家などを呼んで、ティーチインやトークショーのイベントを開く、とか。
そんなギャラとかを出す余裕はないって感じなら、いっそ自分たちで作品解説をやっちゃえばいいじゃん! しゃべるのが苦手なら、フリーペーパーやチラシやウェブってかたちでもいいからさ。
あとは「友の会」とか「シネマクラブ」的な集まりを作る、とかでもいいから……、なんであれ要は、観た作品に関してお客さんとコミュニケーションを取り合うような場を頻繁に設けてみては?ってことですよ。
そういう機会を積み重ねていけば、地元の皆さんの映画リテラシーもだんだん上がってくると思うんですよ。「今回の作品は、このあいだ観たのと比べるとこうだったね」「あの役者さん、半年前に観たあれにも出てたよね」みたいな話ができるようになってくるわけじゃん。
で、そのなかで、しまこさんたち側は、たとえば美術や衣装に注目することでわかってくることとか、特定の知識が必要な象徴表現の読み取り方とか、要は一歩踏み込んだ映画の楽しみ方、みたいのをわかりやすくレクチャーしていったりしてさ。
そこまで持ってければきっと、それまで観てきた映画みたいな「わかりやすい」面白さだけじゃない、それこそミニシアター系、インディペンデント系の作品の奥深さや味わい深さがわかってくる人も、間違いなく増えてくるでしょ。
とにかく、周囲の無理解を嘆く前に、まず啓蒙努力を!っていうね。
映画じゃないけど、30年近く前に日本でヒップホップ・グループをやってみようと考えたときに、僕や相方のMummy-Dがまず感じたのが、まさにその啓蒙の必要性、土壌から耕さなきゃ、ってことだったので。
こばなみ:
いいですね。
島根の名物シアターになる可能性も!
宇多丸:
ちなみに僕、地方の映画館でのトークショー依頼は、スケジュールが合う限りは基本受けることにしてますんで。
島根、ぜひ呼んでください!
【今週のお絵描き】
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この記事は、女子部JAPAN公式WEBで2018年3月3日に公開したものを再編集し、掲載しています。