もうアラフォーなんだけど全然自覚がない。このままでいいのか、不安になることが増えました。【ライムスター宇多丸のお悩み相談室399】
✳️今週のお悩み✳️
宇多丸さん、こばなみさん、こんにちは! 今年で37歳になる女です。4年前に結婚して夫と猫2匹と愉快に暮らしています。なんだかここ最近急に自分の年齢に違和感を感じることが多くなりました。何らかのアンケートなどに生年月日を書くとき、生年月日は変化ありませんが「○歳」と記載する箇所を書くときになって、えっ?と思いながら書いています。あれ? 私もう37になるの? えっ? もうアラフォーなんだけど。全然自覚がない。というか40代の自分のイメージが全然ない。自分が本当に大人になっていけているのか。このまま40代に向かうにあたり、このままでいいのか? 年齢はただの数字だし周りの人と自分は違うのだから、頭では理解しているのですが、何となく不安になることが増えました。漠然としたお悩みで申し訳ないのですが、何かお言葉をいただければ幸いです。
(マリア観音・37歳・会社員・大阪府)
こばなみ:
私も年齢を書くときにはたしかにハッとしますけど。
宇多丸:
てか、これってわりと、誰でも感じることではあるんじゃない?
実年齢に自意識が追いついてない、思ってたような「その歳相応の人」に自分はなれてないし、なった気がしないし、もっと言えば正直まだまだぜんぜんなりたくない、というような気分……。 僕はこれ、「年齢感」というものの構造上、ある種ほとんど不可避的に全員が感じるしかないようなもんなんじゃないか、とも考えてるんですが。
まず単純に、「40代であればだいたい人生のこのあたりでこういう感じ」というような社会的なロールモデルみたいなのが、ほぼ無効化して久しい、というのがありますよね。
ただ、じゃあいつならそれは有効だったんだ、と改めて振り返ってみても、実はせいぜい一世代くらいしかもってない「モデル」でしかなかったりして……。 たとえば、江戸時代より前とかと明治大正、戦前戦中戦後から高度成長期、そして21世紀の「40歳」は、それぞれまったく違うものなわけじゃん?
ざっくり言えば、寿命が延びて余剰の時間が増えるにしたがって、言っちゃえば人類全体、「幼く」なってゆく傾向があるのは間違いないと思うけど。 そもそも「大人/子ども」を隔てる一線も、どんどん曖昧になってきているわけで。
こばなみ:
大人への境界線なんて人それぞれっていうか、ないに等しいですもんね。
宇多丸:
ちゃんとした通過儀礼みたいなものがあるわけでもないしさ。
なんにせよ、医療体制や経済構造、国際情勢など含め、社会というのが常に変化し続けるものである以上、その人が若い時点で想像していたような大人像と、いざその年齢になってみたときの実像にズレが生じるというのは、言ってみれば文明の変転がもたらす必然として、どの時代のどの人も、必ず感じてきたことだったりするんじゃないですかね?
それと、これも基本的な話だけど、経験してきた年月の母数が増えれば増えるほど、相対的に時間ごとの長さの感覚はどんどん短くなってゆくわけで、前に想像してたより時が過ぎるのが早いんですけど?と感じるのも、これまた当然のことではあるんですよね。
なので、マリア観音さんが抱いているモヤモヤの直接の解消にはならないかもしれないけど、とりあえずそれはあなただけが感じてることじゃないよ、実は我々全員そうなんだよ、ということははっきり言えるかと思います。
たとえば平均寿命も、これからさらに延びる可能性が高いわけですからね。 「もう37」なんて言ってるけど、アラフォーなんかすでに、人生の折り返し地点ですらなくなっているのかもしれないですよ。 ま、そういう医療とかの進化に、日本社会の仕組みがまったく追いついていない、という問題もありますけども……。
こばなみ:
37歳って、ちょうどドキドキする頃なのかもしれませんね。40歳を越えちゃったらもういいやって思うけど、30代後半はこの後どうなるんだろうって、期待よりも不安が多くなる気持ちはわかります。
宇多丸:
40代って、言わば「文句なしの中年」だもんね。
30代はまだ若者気分を残していられたけど、いよいよもう言い訳きかない……みたいな。
それを言ったら僕だって、53歳という年齢に持っていたイメージと現状の自己認識、めちゃくちゃ隔たりありますよ、そりゃ。 こんなにずっと中身が子どもっぽいままだとは思ってなかったよ!(笑)
こばなみ:
まぁでもそう言っても加齢は止められないわけだから。
宇多丸:
とはいえ、マリア観音さんも言っているとおり、「年齢はただの数字にすぎない」というのもホントのことだと僕は考えてますけどね。
要は、特にある程度以上の歳になるといよいよ、老化には個人差がかなり出てくるもんなので。
ちなみに、こないだNHKの『ヒューマニエンス』っていう番組の老化特集を観てたんだけど、そのなかで、シンプルかつ衝撃的な結論が紹介されてましたよ。 肉体の老いに抗う方法とは……、ずばり、「食事量70%」だそうです!
こばなみ:
へー!!
宇多丸:
実験対象のオスザル二匹、若者と老人ってくらい見た目の年齢差ははっきりあるんだけど、実は同い年で、違いは唯一、前者はエサ7割で育てた、ということでした。
ただし、ご飯を7割にするって、実際やるにはけっこうキツい量らしくって。 要は、常にお腹が空いている状態に近いみたい……、それこそが生命力をかきたてる、ということなんでしょうけど。
いっぽうで、適度の脂肪とかはないと逆にダメ、ということでもあるらしく。 だからまぁ、我々の実生活に転用するとしたら、まず三度のメシは腹いっぱい食べたりせず……。
こばなみ:
もう、いつだって満腹まで食べちゃってますよ。
宇多丸:
満腹は論外。
腹八分目でさえなくて、七分目、ちょっと足りねーな、くらいを心がけろって話ですから。
あとは言うまでもなく、間食などいっさいしない! 小腹が空いたら、「若返りチャーンス!」とでも考えて、耐える。
ただ、そうやって若さを手に入れる代償として、はたから見ると単にいつでもイライラしてる人になってしまったりして(笑)。 ストレスはストレスで間違いなく心身にダメージを蓄積してゆくでしょうから……、長生きしてる人を見てるとやっぱり、基本楽しそうだったりするもんね。
こばなみ:
好きなように生きるってのは大事なんでしょうね。健康を意識しすぎて早く亡くなっちゃう人もいるし、私はやっぱりストレスがたまらないようにはしたいなと思いますね。でも満腹には注意だな!
宇多丸:
ちなみに、アラフォー女性のロールモデルって、今は誰ってことになるんですか?
こばなみ:
ちょっと年上だけど、私のまわりでは、石田ゆり子のインスタをチェックしてる人が多いのですが。
でも、40代ってとくに雑誌とかを見ていても、これ!ってロールモデルがいないですよね。ライフスタイルがものすごく細分化されてくるからでしょうかね。
宇多丸:
あとはやはり、ジェーン・スーとかかな。
でも彼女だって、生き方そのものがみんなのお手本とか、そういうことで人気ってわけじゃないもんね、きっと。
まぁだから、この歳ならこのくらいが正解、みたいな世間的コンセンサスみたいなのも、実際のとこいまどきはとくにないわけだよね、やっぱり、
ま、とは言いつつ、そういう外面的な話とは別に、個人的には、孔子も「四十にして惑わず」とか言ってましたけど、たしかに40歳くらいでやっと、「まぁ、大人になれたのかな」と実感できたというようなところは、実はなるほどちょっとある気もするんですよね。
なんつーか、やたらとイライラしたり、ジタバタしなくなった(笑)。 たぶん、この自分はこの自分でまぁアリか、と心から思えるようになってきた、というのが大きい気がしますが。
もちろん、仕事やプライベートがちゃんとうまく行ってたり安定してたりっていう、恵まれたベースがあってこそのことではあるわけだけど、それだってやっぱり、その歳までにいろんな積み重ねをしてきた結果ですからね。 その意味では「四十にして惑わず」も、そのくらいの年齢で目指すべきひとつの境地としては意外と説得力あるのかもなぁと、50代から振り返ると少し思いますね。
「不惑」ってつまり、完全に悟った状態とかじゃなくて、ようやく「自分がわかる」みたいな感じなのかなと。 そして、自分のことが遅まきながらわかってくるということは、他人のこともちょっとずつわかるようになってくる、ということでもあるんじゃないか。 つまりそれこそが「大人になる」ってことなんじゃないか……無論、これも一面の話ではあるんですけど。
僕自身はたとえば、30代だったらまだ、毎日の生放送とかは、危なっかしくてできなかったと思います。精神的に不安定すぎて。
逆に言えば、帯の生番組を任せてもらえるということは、精神的にこの人はかなり安定している、と信頼されている証なわけで、そこは内心すごく誇りに思ってますよ。 面白い云々以前に、人としてちゃんとしてると認められているのが前提、というか。
こばなみ:
毎日ブレなく変わりなく、きちんとやり遂げるってことですもんね。
宇多丸:
心の波を、少なくとも表には出さないでいられる人、ときにトラブルが起きてもその場で冷静に収められる人、という社会的信頼を得ているわけで……、それって超、大人じゃね?(笑)
マリア観音さんもだから、37歳ということですからあとホントにもうちょいしたら、実はしっかり年齢なりに成長なり変化をしている自分、というのを自覚する瞬間がこないとも限らないですよ。
ただ、僕だって今はこんな余裕こいたようなこと言ってるけど、じゃあ還暦むかえる覚悟はできてんのか、と言われたら……、か、かんれき!? ウソでしょー!?ってなるよ、やっぱ(笑)。
しかも、自分ではそうやって驚いたりしてるのに、まわりのもっと若い人とかから見たら、「いや、ぜんぜん年相応に見えますけど?」みたいな感じだったりして……、ま、どう考えてもそちらが真実だからね。 身もフタもない結論を言っちゃえば、いずれ遠からず誰にでも死がおとずれる、という厳然たる真実まで本気で見すえて、そのさだめを粛々と受け入れるしか、最終的な選択肢はどっちにしたってないわけですけど。
こばなみ:
でもまぁ、この連載でもよく出てきますけど、「今が常に一番若い」って思っていれば、いろいろ挑戦したり、前向きでいられたりするんじゃないですかね?
宇多丸:
そうそう。
53歳になった今の僕からすれば37歳なんてまだけっこう若いなという感じだし、そう言ってる今だって、後から振り返ればこれまたぜんぜん若造同然に思えるであろうことはほぼ確実なわけで。
そしてそのたびに、「今よりはまだまだ元気で時間もあったんだから、あんときやれることをもっとガンガンやっとけば良かった……」と軽く後悔したりするというのも、ある意味目に見えてるわけですよ。
ならばやっぱり、いつでも「今」を満喫しなきゃ。限られた人生、もったいないじゃん?と、僕は考えてますね。 『Forever Young』は伊達じゃないんですよ!
こばなみ:
そうですね! 頭で考えるともやもやしちゃうこともあると思うので、何かこの機会にやりたいことをやってみるのもいいかもしれませんね。私も先日46歳になったのですが、いやいやまだまだ人生の折り返し地点以前! ですので、やりたいことはすぐやる課!てな感じで、毎日を満喫したいと思います~!