同期の女子と毎日ランチをしているのですが共通の話題がなく……。自分はつまらない人間なんだと落ち込んでしまいます。【ライムスター宇多丸のお悩み相談室401】
✳️今週のお悩み✳️
私はラジオを聴くこと、ドラマ・映画を見ることが大好きです。独身で友達はいませんが、毎日コンテンツに囲まれて、彼氏と楽しく穏やかに暮らしています。そんな生活の中でも、ひとつ悩んでいることがあります。働く会社のたったひとりの同期の女の子と、共通の話題がないことです。私と同い年で既婚、子どもを2人持つ彼女とは、今年の春に入社6年目にして初めて同じフロアとなり、毎日お昼ご飯を一緒に食べるようになりました。 初めての急接近で気づいたことは、共通して話せる話題が、会社の話題以外ないことです。彼女はかわいくて友達も多く、趣味としてお菓子作りなどを簡単にやってのける素敵な女の子です。他方、私は不器用で学生時代の友達とも疎遠、結婚もしておらず、内向的な小学生のまま大きくなったような人間です。お菓子作りをしようなんて考えたこともありません。自分で稼いだお金で自分の好きなことをしている人生を大切に思っていますが、持ち家の彼女と、賃貸でドラマばかり見ている私の人生の時間は、2倍くらい流れるスピードが違うのかと感じています。そんな彼女と私がお昼を一緒にとる30分間、お互いに質問し合うことはありますが、盛り上がるということがありません。沈黙の時間が多く、一緒にいる彼女も決して楽しそうではありません(とっても気が合う!ってことはないと入社時から察知はしていました)。彼女が私とお昼ご飯を一緒に食べているのは「唯一の同期だから/お昼をひとりで食べたくない」という理由以外ないかと思いますが、せっかくならその時間をお互いにとって楽しいものにしたいです。とりあえずいまは、なんとか共通の話題を見つけようと模索中ですが、なかなか苦戦しています。お昼を共にして1カ月半で、趣味や価値観がまったく違うということがわかってきました。さらにライフステージが違いすぎて、自分が発する言葉すべてがお気楽・安直なものに感じ、なんの話をしたらいいのかわからなくなります。無理してまでお昼ご飯を一緒に食べないという選択肢もあるかと思いますが、仲良くなれるかどうか、もう少しだけ努力してみたいです。どうしたら彼女と一緒に楽しい時間を過ごせるようになるでしょうか。また共通の話題をどのように見つけていけば良いでしょうか。子ども2人を育てながら働く彼女に、かけてはいけない言葉等はどのようなものでしょうか。ひとりグルグル悩んでしまい、自分は話題のないつまらない人間なんだ、と落ち込んでしまいます。
(Ccc・27歳・会社員・東京都)
宇多丸:
まぁ、ご自身でもおっしゃる通り、無理して一緒に食べる必要はない、というのはもちろんなんだけども、とはいえいったん習慣化したものを、急にやめるわけにもゆかないもんねぇ。
でも、まずその前に、相談文を拝読していてかなり気になるのは、その同僚に対して、Cccさんがちょっと過剰にコンプレックスめいたものを抱いているフシがある、ということで。
それでこちらが勝手に心の壁を作ってしまっているようなところも、実は少なからずあるように感じられるんですよね。
要は、あっちが堅実に王道の人生を歩んでいる(ように見える)のにひきかえ、こっちは日陰街道をひたすら爆進しておりまして! 話も合わなくて! サーセンね!的な。
それだって、ご自分でも書いている通り、「楽しく穏やかに暮らして」、そういう「人生を大切に思って」いられると言うんだから、本来なんの問題もなく胸を張ってりゃいいだけなはずなんだけど……。
たぶんその人を前にすると急に、比較対象ができてしまうからなのか、どこかつい卑屈になってしまう、という感じなのかなと。
Cccさんだっておそらく頭ではわかってるように、別にどっちが上とか下とかってことじゃないのにね、というのは言うまでもないことですが。
こばなみ:
家を持ってようが持ってなかろうが、ですよね。
宇多丸:
そんなこと言ったら僕らだって、ねぇ……(笑)。
そのうえ、コンプレックスの裏返しなのか、「趣味としてお菓子作りなどを簡単にやってのける」あたりのラインからは、「まー結構なご身分ですこと!」的な、若干の悪意さえ感じられなくもないくらい。
とにかく、あって当然の両者の違いに対して、ことさらにルサンチマンをこじらせている感じは、正直この文からすごくするんですよね。
つまり、そもそもこちらが過度に構え過ぎていて、それゆえなかなか打ち解けようもない、というような面は、たしかに少しあるんじゃないかという気がします。
というのを頭に置きつつ、改めて考えてみると……。
まずさ、別に大盛り上がりの会話を目指す必要なんか当然なくて、いわゆる世間話で、ぶっちゃけその場限りお茶をにごせれば、それでいいわけじゃん?
そういうときは通常、単純に職場の話題でみなさんやり過ごしてるんだと思いますが。
仕事環境の愚痴やイヤな上司の悪口、それに勝る「共通の話題」もないでしょ!
こばなみ:
それでも途切れちゃうんですかね。
宇多丸:
ま、どちらかもしくは両方が、あんま噂話とかが好きじゃないのかもしれないし。それはそれで正しい姿勢ですからね。
ひとつ思うのは、二人きりしかいなくてずっとしゃべり続けるのって、どっちにしろ難しいと思うんですよね。まして毎日顔を合わせていたら。僕だって普通に話題に窮すると思いますよ。
つまり、沈黙を埋めるなにかがあればいい、ってことじゃないかと。
だからさ、それこそラジオでも流しとけば?
「私ラジオ好きなんだ、聴いていい?」とか言って。
こばなみ:
それいいじゃないですか!
宇多丸:
ねぇ。
そしたら、放送のなかの話題きっかけで、こっちも話のネタができるかもしれないしさ。
気づけばその方も、『たまむすび』を聴いてるうちに赤江珠緒さんの大ファンになったりしちゃうかもよ?(笑)
こばなみ:
社食とかだったらどうします?
ラジオは流しづらいのと、職場の悪口は言いづらいですよね。
宇多丸:
うーん、そしたらもう、逆に正面突破で行ってみるのはどうですかね。
要はズバリ、「せっかく毎日一緒にご飯食べてるから、たとえば同じドラマを観続けてみるとか、なんかそういうのやってみない?」みたいに、共通の何かをいまから持とうと提案しちゃう!という。
もちろんね、そんな積極性をカジュアルに発揮できるくらいなら最初から悩んでないよ!ってことかもしれないけど、まぁ考え方の方向性としては間違ってないんじゃないかなと。
こばなみ:
同じ本を読んでみるとかもどうですか?
知識も深まるし、いいかなって。
宇多丸:
それこそ大河ドラマとか連続テレビ小説だったら、当然観やすいし、基本的に誰もがコミットできる作りにはなってるし、一応一定のクオリティは担保されてるでしょうしで、比較的話題にしやすい……って、多くの方にとっては言わずもがなであろうことを言ってますけど(笑)。
僕自身が、遅まきながら『鎌倉殿の13人』は、まんまと毎週楽しみに観るようになっちゃいましたからねぇ。
今回の相談をいただいて、「昨日見たテレビの話」って、なるほどこういうときのためにあるんだなぁと、改めて思いましたよ。
番組そのものの価値云々とは別に、コミュニケーションのきっかけとしての機能っていうのが、実は大きいんだなぁって。
あとはやっぱり、根本の話になりますけど、先方に対する苦手意識、「合わない!」という決めつけをいったん意識的に抑制してでも、一日のうちその時間だけは、少なくともこちら側からは「他者」に興味を持って、なんかしら聞く努力をする、というのは難しいんですかねぇ……。
こばなみ:
自分と違う人の話って、取材とかもそうですけど、発見があっておもしろそうですけどね。新たな気づきや学びもあるかもしれないし。
宇多丸:
そこで邪魔になってくるのがやっぱり、「この人とは生き方が根本から違うから……」という、はなからネガティブな発想なんですよね。
それをやめるためにはまず、Cccさん自身が、ご自分の人生や暮らしに、もっと自信を持たないと、ということなのかもしれない。
自分の現状をホントに心から肯定できているのならば、相手に対してむやみに防衛的/攻撃的になる必要も、またないわけで。
実際楽しくやってるんだったら、そんなに自己卑下しなくていいのに、と思うんですよ。
こばなみ:
そうですね。「子ども2人を育てながら働く彼女に、かけてはいけない言葉」とか、そんなに構えなくていい気もしますけど。
宇多丸:
そんなの僕らだって常識の範囲でやってくしかないし、時に間違っちゃったとしても、その都度直してく以外ないことですからね。
こばなみ:
あと、そもそも二人っきりで食べなきゃいけないんですかね? 誰か誘ったらいいじゃんとは思いましたけど。
宇多丸:
なんにせよ毎日同じ人と二人きり、同じ場所でプラスアルファの要素もなく飯なんか食ってたら、誰だってすぐ話題も尽きるよねぇ。それはCccさんのせいでも同僚のせいでもないよ。
僕だったらたぶん三日目ぐらいからもう、黙りこくって何か読み出したりしてますよ(笑)。
実際、マネージャーおさないさんと二人でご飯食べるときも、僕ちょっと作業するからって、普通にお互い黙ってスマホいじってますし。
で、ときどきは話しかけたり……、別にそれで良くない? 四六時中しゃべんなくていいよ。
こばなみ:
それから、テレビの話の派生だったら、あの頃あんなドラマあったよね、とか……、エンタメでもいいし、流行りのお菓子でも、学校の授業でも、世間を騒がせた事件でもなんでも、同じ歳っていうだけで、相当共通の話題ありそうですよね。
宇多丸:
たしかに!
それこそ同い年であることの、最大のアドバンテージだよね。
過去に遡れば、絶対どっかに接点あるはずだもん。
違いにばかり目を向けてるけど、共通点はむしろ、ほかの人より多い可能性ぜんぜんあるじゃん!
もし仮にそれでも接点が見つからないようなら、それこそ「興味深い」領域じゃない?
たとえば、関東圏の同世代なら誰でも歌えるようなCMソングが、関西以西出身の人からしたら何それ?みたいな。逆もまた真なりで。
いまならネットに当時の動画とかもあったりするから、そういうの見せ合うとかだけでも、まぁまぁ楽しくない?
最近僕のラジオで扱ったなかで言うと、「絵本」ってつくづくユニバーサルな、めちゃくちゃ万人に開かれたものだから、共通のトピックとして盛り上がりやすい気がするんですけど。
なんせ僕と半世紀近く歳が違うTBSアナウンサー日比麻音子さんが、同じ『モチモチの木』で、即座に心から「なつかしー!」ってなるんだから。そんなジャンルほかにないでしょ?
番組で『月刊MOE』編集部の位頭久美子さんに教わったところによると、絵本は、数十年前に初版が出たような古典的名作が、常に「新刊」として読みつがれているんだって。
あと、大人が読んでむしろガツンと来るものも多いのが日本の絵本シーンの特徴でもあるそうだから、Cccさんもまずはそのあたりから、話のとっかかりを探ってみるのはどうですかね?
たとえば、いま世田谷美術館でやってる現行覇者ヨシタケシンスケ展にでも行って、なんかお子さんも楽しめそうなおみやげを買ってくるとかしたら、すっごく喜ばれると思うんですけど。もちろんCccさんにも、そのまんまガツンと来るはずだし。
ということで、ちょっと考え方のモードをこちらから変えてゆく、というのが、なにしろ第一歩だと思いますね。
いつも言ってるけど、人から優しくされたければ、こちらがまず人に優しく接することから始めないといけない。
同じように、他人に心を開いてほしかったから、まず自分が心を開いてみせないとならない、ということですよね。
もちろん、それで必ず結果が出るとも限らないわけだけど、少なくともそこを出発点にしないことにはなにも始まらない、というのだけは、絶対に間違いない。
いっぽう、もし仮に「いや正直、そこまで譲歩したくもないんだけど……」くらいのテンションなのだとしたら、当然のようにあちらも同じくらいの低温感だったとしても、それでなんの不都合があろうか?とも言えるわけで。
何度も言うけど、別に無理して盛り上がることも、無理して一緒にいることもない、というのは大前提ですよね。
こばなみ:
とにかく、あまり自分を責めないでほしいなと思いました!
少しでも気楽になることを祈っております。落ち込まないで~!!