「あだ名で呼ばれるのが嫌だ」と悩んでいる7歳の長男。対策法を伝えましたがあまり効果がありません……。【ライムスター宇多丸のお悩み相談室376】
✳️今週のお悩み✳️
こんにちは。既婚で2人の子ども(7歳、4歳)がいる母親です。この春、長男が小学校に入学。学校生活にも慣れてきたある日、友達にあだ名で呼ばれるのが嫌だ、と言われました。苗字にまつわるあだ名で、昔からあるような呼び名だったので、正直、そこまで深刻ではないだろうと思って、初めは流していました(「遠藤」という苗字で、友だちから「えんどうマメ~!」と呼ばれるのが嫌なのだそうです)。
次第に、「○○くんが、あだ名で呼んでくるから遊ばない」などと、長男が結構気にしているんだなと思って、どうにか対策をせねばと思いはじめました。
・やめてほしいこと、そのあだ名で呼ばれるのは嫌だということを友達に伝える
・無視する(「やめろよ~」と言った相手にとって面白い反応をしない)
・言われたときに、その場にいる大人(先生)に伝える
といったことを長男に伝えて、実践してみましたが、あまり効果がありません。
夫も、かつて同じあだ名で呼ばれ続けてきた過去があり、あまり良い思いをしなかったため、息子が同じ道をたどっていることにヤキモキしています。わたしは結婚後、大人になってからの苗字なので、そのあだ名でからかわれたことはなく、「お前には、長男の嫌な気持ちが本当の意味で理解できないんだ」とさえ言われる始末。何か良いアイデアがあったら、ぜひお助けください~!!
(E・40歳・神奈川県)
宇多丸:
また子どもはさ、面白くもなんともないことをしつこく繰り返したり、嫌がると余計に面白がってさらに悪ノリしだしたり、とにかく他者に対する想像力やデリカシーが未成熟、ということにかけては定評がある連中ですからねぇ……、そのまま歳だけとっちゃったような人も世の中にはたくさんいるけど(笑)。
7歳とか、ある意味一番その傾向が強い年ごろなのかもね。
容赦なく人を批評できるだけの知恵が、なまじついてきちゃってるというか。
こばなみ:
最近は小学校でもあだ名で呼ぶのでなく、さん付けになってると聞きましたけどねぇ。
宇多丸:
でもそんなのさ、大人たちがいくらトップダウンで言ったって、そもそもなぜあだ名で呼ぶのがよくないのかを子ども側が心の底から理解してない限り、徹底は難しいんじゃないかという気もしますよ。
まぁ僕らは子どもいない組なんで、ホントのところはわかってないかもしれないけど……。
個人的には、その名前で呼ばれるのが嫌なんだということを真剣に伝えているのに、それでもやめてくれないような子とは、距離を置いたって別にいいんじゃないの、ともちょっと思うけど。
要は、それまで仲良くしてたやつの幼稚さや無神経さが嫌になりはじめた、っていう、お子さん側の成長の証でもあるんじゃないかと思うから。
逆に僕があんまりおすすめしないかなぁと思うのは、3つ目の「言われたときに、その場にいる大人(先生)に伝える」。
これ、どうだろうね? いまどきの教育がどうなってるかわかんないけど、僕の感覚では、あまりそこに頼るばかりだと、少なくとも同世代間では孤立しかねないんじゃないかなぁ。
もちろん、いじめレベルだったら大人に助けを求めて当然いいんだけど、直接異をとなえられる間柄なうちは、やはり当人同士で話をするべきじゃないかと個人的には思いますが。
こばなみ:
あだ名で呼んだら嫌な目にあうとか、それぐらいないとやめないのでは?
宇多丸:
でも、たとえばですよ。それで大人が本気でこっぴどく叱る、泣くまで叱るとかしたとして、そしたらとりあえずやめるはやめるだろうけど、そういう「矯正」の仕方で本当にいいのかな、という気は、僕はどうしてもしてしまう……。
とはいえ、本人が懸命に言えば言うほど、それがさらにナメられる原因にもなりかねない、というのがまた、子どもの世界でもあるだろうからな~。
彼らは彼らなりの「政治的力学」のさなかに生きているからね、切実に。
ちなみに僕の場合、小学校中学年のころついたあだ名が「佐々木のおっちゃん」で、最終的には「おっちゃん」になりましたけど、やはりそりゃ当然、あんまりうれしくはなかったよね。
まぁ、群を抜いてマセてる、ってことからついたものなので、「頭いい」を言葉足らずなやつらが言い換えてるだけなんだと(笑)自分には言い聞かせてましたけど。
こばなみ:
私はあだ名で呼ばれて嫌だったことはあんまりないけれども、このお悩みを読んで、悪気ないと自分では思っていても、あだ名で呼んで誰か嫌な思いをさせてしまっていたのだろうな、と。
宇多丸:
僕、実はそれ系でひとつ懺悔しなきゃいけないことがあって。
小学校中学年くらいのときに転校してきた女の子の苗字が、当時のプロ野球選手の名前と一字違いで、それとわざと間違える、というのをギャグのつもりでホントにしつっこく繰り返してたら、ついには泣かせてしまった、という事件がありまして……、自分では面白いと思ってやってたことがこんな結果を招くとは! というかそもそもこんなの面白くねぇよ!と、内心激しく己を恥じたのをすごくおぼえてるんですよね。
その場でも必死に謝ったという記憶だけど、実際どうだったろう。都合よく改竄されてる可能性もありますけど。
なんにせよあれ、彼女のトラウマになってないといいんだけど。あのときは本当にごめんなさい……。
ということで、僕も人のことは何ひとつ偉そうには言えないんですが。
こばなみ:
これ、どうしたらいいんだ!?
宇多丸:
僕はまずやっぱり、大人はこの段階ではまだ、こうしたらいいんじゃない?っていうサジェスチョンはしていいけど、直接介入はすべきでないと思う。
お子さんが自分の手で解決するにはどうしたらいいか、というのを一緒に考えてゆくのがいいんじゃないですかね。
僕ならなんて言い返すかな……、「あだ名ってカジュアルに呼びやすくするためのもんなのに、“えんどうマメ”って、長くなっちゃってんじゃん! 語呂もよくねぇし、どうかと思うわ」とか、センスの悪さを指摘しまくるとか?
こばなみ:
それができたらいいですけども……。
宇多丸:
呼ばれるたびにいちいち「つまんねぇよそれ」ってバッサリ否定してみせる、とか?
でも、それがかえって相手には「お約束」的に楽しくなってきちゃうかもしれないから、やっぱりダメだなその手は……。
こばなみ:
相手にもあだ名をつけるとか?
宇多丸:
それ、僕も考えたけど、そうなると今度はお互い「ひどいあだ名つけ合戦」になって、泥沼化しちゃうかもしれないじゃない?
もちろんそこで、それこそ有吉さん級のセンスでクリティカルに急所を突くネーミングをバシッと決めて、一同大爆笑、当人真っ赤になって泣きだしちゃう、すかさずドヤ顔で「な、嫌だろ?」とか、できるもんならしたいところだけど……。
現実にはそこまで行くのは難しいだろうし、仮に達成したとしても、その子とのしこりはより強いかたちで残っちゃうのは間違いないばかりか、なんならこちらの加害性のほうがよっぽど際立ってしまいもするわけで。一瞬溜飲は下がっても、あんまり後味はよくならないかもだよね、実は。
ちなみに、これは根本の解決ではまったくないんだけど、「えんどうマメ」は、明らかに小学低学年レベルのあだ名なので、すぐ下火になるとは思うんですけどね。
中学年、高学年では言わないと思う。
こばなみ:
言ってるほうが幼稚と言われそうですしね。
宇多丸:
でもわかんないな。
もとは「えんどうマメ」だったのが、「マメちゃん」とか「マメ」になり最後は「マー」になるとか、そういう生き残り方もあるからな。
まぁ、そこまで原型をとどめてなければもういいんじゃねぇか、とも思うけど。
いっそもう、「せめて“遠藤マイメン”にしてくれる?」とか、わけわかんないこと言いだすのはどうですか(笑)。
「マイメン遠藤」と呼んでくれ、とか。
あと、「えんどう」にももっと色々あるだろ!つって、遠藤周作とか遠藤憲一とか遠藤賢司とか、わりとゴリッとしたおじさんの写真を見せて、ビビらせる。「遠藤ナメんなよ!」と。
ま、冗談はさておき……。
最初のほうで言ったとおり、しつこくあだ名で呼んでくる子とはしばらく遊ばない、って選択も、やっぱりしっかりあると思いますけどね。
嫌なことをしてくるやつと、無理に仲良しのフリを続けることはないよ。
話が通じない人とは自分からそっと距離を置くのもひとつの手、というのは、これから社会で生きてゆくうえでも大事な知恵なんじゃないですかね。
それであっちがなんでだよ?となったら、改めて「そりゃお前が、こっちが嫌かることをやめてくれないからだよ」と、「お前が嫌われる理由」を伝えてやればいい。
そしたら泣いて謝られるか決裂か、いずれにせよ、あくまでこっちが主導権を握るようにしましょうよ、ということですよ。
とにかく、世の中には口で言ってもわかってくれない困った人というのが子どもにも大人にも残念ながら一定量いて、そういう人とはできるだけ関わらないようにするというのもひとつの知恵だということ、そして、他人の痛みに想像力が働かないということの愚かさ残酷さがわかっているあなたは、明らかにそのお友達よりお利口で優しい子なんだよ、そういうあなたが誇らしいよ、というようなことを、 Eさんからお子さんに、しっかり話してあげればいいんじゃないですかね。
そのうえで、○○くんももうちょっと大人になれば、ひどいことをしたなってわかってくれるかもね、とかフォローもしてあげて。
要は、世の中に厳然と存在する「思い通りにならないこと」に対する教育という観点で、親子でしっかり話をする、ということなんですけど。いかがでしょう?
だってさ、これって根本は、先週の職場で挨拶しない人がいるって話と、実は同じなんだよね。
まったくもってトホホだけど、大人になったってこういうことは、やっぱりある。
やっぱ世の中、話を聞いてくれる人ばっかりとも限らない、でもだからといって、こちらも人として同じレベルに堕ちてしまったらバカみたいだよ、こちらはこちらでしっかり生きてゆくしかないんだよ、というような話。
こばなみ:
その話をこの時点で親子でするのはすごい意味のあることですね。
宇多丸:
自分がされて嫌だっていうことがわかる子は、他の子が嫌がるようなことを言ったり、やったりもしないよね、って。
そういう子がどうなるかといえば、トータルで間違いなく、好かれる。
逆に、人が嫌がることを平気でやるような子がどうなるかといえば、そりゃ言うまでもなくほぼ確実に、嫌われる。
加えて、痛みへの想像力がないぶん耐性も低いため、そういうやつに限っていざ反撃を食らうと、極度に打たれ弱かったりする……、そんなこんなも含め、7歳と40代、本質は何も変わらないんですよね(笑)。
もちろん、徹底的に戦う、というのだってひとつの選択肢ではあるけれども……、傷つけられたから傷つけ返していいんだ、というのは、少なくともこの年ごろの子どもに対しては、やはりあんまり植えつけるべきでない考え方かもしれないですよね。
まぁ、通りすがりの無責任なおじさんとしては、「こう言い負かして再起不能にしてやれ!」とか、必殺のケンカ指南もついしたくなっちゃうところですけども(笑)。
こばなみ:
子どもたちも大変だ。
宇多丸:
でもその大変さを、やはり自分自身で経験して、乗り越えたり凹んだりすることこそが、大切でもあるわけですから。
なので、たとえばこういうときに、心折れるでもなく腐るでもなく、っていうマインドセットを会得しておくのは、意外と大事なことかもしれないですよね。
だって、間違いなくこれからも、ありとあらゆる嫌な目には、100%、遭うんだもん。
こばなみ:
本当に大人も子どもも同じだし、これ人間関係において、誰にでもよくある話ですね。
自分はちゃんと人の話を聞ける人でありたいなと、改めて思いました。