大学時代から女性の働く場をつくり続けて40年。田子社長が大切にしてきた、みんなが幸せになれる働き方とは。
2030年までに“女性活躍”という
言葉がなくなる世界をめざして、
リーダーとして働く女性を応援する
F30プロジェクト。
今回は、
“女性起業家第一世代”
と言える1980年代に起業し、
今は官庁や企業のICT関連ヘルプデスクの
運営や出版事業を行う、
株式会社コスモピア(以下コスモピア)の
代表取締役 田子みどり(たご みどり)さん
にお話を伺いました。
田子さんが大学卒業と同時に起業をして設立したコスモピアは、40年にわたり、女性が働きやすい環境をつくってきた会社です。いまでこそ当たり前になったテレワークを1980年代から取り入れ、社員1人ひとりの状況に合わせて柔軟な働き方を推進しています。いわゆる企業の常識にとらわれず、独自の体制を生み出した経緯などに興味がわき、お話を伺いたいと思いました。
田子社長は「イヤなことをしたくない、楽しく働きたいと思ったらそうなっただけ。小さな会社だからできたのよ」と笑いながら、これまでを振り返ってくださいましたが、そこから、私たちが望む理想の会社の在り方のヒントが見えてきました。
<History>
~田子社長が起業したきっかけとコスモピアの歩み~
「大学までは男性と同じ立場だったのに、社会に出たとたん、ハシゴを外された気分に」
—田子社長の学生時代は、男女雇用機会均等法の施行以前ですよね。女性の立場や働くスタイルはどういうものだったのでしょうか。
当時、女性は4年制大学より短大へ進学するのがポピュラーでした。短大を卒業して、就職して、社内結婚をして寿退社、そして専業主婦になるという流れでしたね。いまでは考えられませんが、女性が入社してくると若い男性社員の「お嫁さん候補」として見られていたし、本人たちもそのつもりで会社には長居しないのがよいとされた時代です。
※編集部注:男女雇用機会均等法の施行は1986年4月。
—そんな時代背景でありながら、田子社長が4年制大学へ進学した理由は?
東京に行きたかったから(笑)。私は山口県萩市出身で、非常に封建的な町で育ったんです。子どもの頃から、なんとなくジェンダーギャップに接し、居心地の悪さを感じていました。母が教師として働く姿を見ていたので、働くことには抵抗がありませんでしたが、地元で長く仕事に就くには教師か看護師しか道がない。東京に行けば、もっと自由にいろいろ可能性があり、未来がひらけると思ったのですが……。
—いざ東京に来て、どうでしたか?
当時は「女子大生ブーム」と言われ、女子大生がもてはやされた時代。当然、私も楽しく過ごしました。ところが、4年制大学卒の女性は、就職先がほとんどないことを知り、ショックを受けました。東京に行けばチャンスがあると思ったのに、東京も地方と同じだったのです。4年制の女子学生を受け入れてくれたのは、証券会社、出版社、百貨店などのみ。だから優秀な女子学生が集中するんです。私も出版社の説明会に一社だけ参加したのですが、まわりが優秀そうな女性ばかりで尻込みして、就職試験を受けることなく就職活動は終わってしまいました(笑)。
—高学歴の女性ほど、働く環境がなかったのですね。
当時、アルバイトを通じて大企業の役員たちと知り合う機会が多かったのですが、彼らからは「女性の戦力に期待していない。女性には寿退社してもらうのが理想だ。だからキャリア教育もしない方針」とはっきり言われました。大学までは男性と同じ立場で、しかも女子大生ブームでちやほやされていたのに、社会に出たら私はいらないんだなと寂しくなりましたね。社会にでたらハシゴをはずされる気分でした。
—就職先が見つからないだろうと考えて、起業を決意したんですか?
結果的には起業しましたが、最初からそうしたいという強い思いがあったわけではないんですよ。学生時代、社会経験を積むために企画会社でアルバイトをしていて、イベントの企画などをしていたんです。当時キーワードになっていた『科学技術』について女子大学生がおもしろいイベントをしていると、大企業の重役たちから気に入られて。他大学の女子大生をまとめるリーダー的な役割も担っていたんです。その流れで、電電公社(現NTT)や大手メーカーなどから「若い女性の視点の企画が必要」とお声がかかるようになり、だったら法人化をしたほうがよいと思ったのが創業の経緯です。
「当時は学生ベンチャーブーム。責任感と好奇心だけで、会社を続けてきました」
—起業することに不安はありませんでしたか?
なかったですね。仕事を引き受けてしまったという責任感だけは感じていました。もともと、私は新しいこと、知らないことを知るのが好きなんですよ。責任感と好奇心だけで40年近く続けてこられたんだと思います。また、当時は学生ベンチャーブームで、学生からそのまま経営者になる人が多かったことも後押ししてくれました。
—つまり、雇われたことがないということ。どうやってビジネスマナーやスキルを鍛えていったのでしょうか?
まわりの大人たちが親切で(笑)、何も知らない私にいろいろ教えてくれました。だって、封筒の宛名書きすら知らなかったんですよ。笑い話なんですが、請求書を届けたら取引先の部長に書き方がおかしいことを指摘されたんです。それで「会社に戻ったら担当者に注意しますね」ってシレッと言ったのですが、その請求書は私が作ったもの(笑)。そんなことだらけでスタートしたんです。
でも、「会社とはこういうもの」という固定観念がなかったから、いろいろチャレンジができました。お金のこと、組織のこと、すべていちから自分たちで考え、ベストな方法を模索してきたのです。学生時代の勉強は楽しいと思ったことがなかったですが、会社を起こしてからは毎日が勉強で楽しかったですね。
「“私は普通だ”と思いたくて、26歳で出産。電話やFAXを駆使して仕事をしたのが、最初のテレワーク」
—創業して4年後に出産をされています。まだ会社が走り出したばかりなのに、仕事をペースダウンすることに抵抗はありませんでしたか?
当時の平均的な女性は、就職して25歳で結婚、26歳で出産と言われていたんですね。私は経営者になり一般的な女性とは異なる道を選びましたが、“私は普通だ”と思いたくて、26歳での出産を望んだのです。仕事に少し疲れて現実逃避がしたかったというのもあるかな。仕事復帰後の子育ては大変で、まったく現実逃避になりませんでしたが(笑)。
自宅から電話やFAXを駆使して仕事をしましたが、まだ会社の体制としてテレワークを取り入れていなかったため当時のスタッフには迷惑をかけました。その後、会社の業務内容が少しずつ変わる中で、結婚を機に仕事を辞めたけれど復職を考える専門的な知識を持つ女性たちに、家庭にいながらマニュアル制作や調査分析をしてもらうようになり、それが現在のコスモピアへとつながっています。私自身も子育てをして両立の大変さを知ったことで同じ立場の女性の気持ちがわかり、テレワークの重要性を感じていたので迷うことなく導入しました。
—家庭に入っていた優秀な女性たちの能力を発揮する場をつくったわけですね。
私はたまたま働く機会をつくりましたが、「働きたい」「社会の一員でいたい」という優秀な女性たちがいたからできたことです。
「パートから正社員はもちろん、その逆もある。柔軟な制度で、優秀な人材に働き続けてもらいたい」
―2021年には、女性活躍推進をしている優良企業に与えられる「プラチナえるぼし」を取得されています。
人生にはさまざまなタイミングがあります。出産・育児にとどまらず、配偶者の転勤同行や介護など、今の社会では特に女性に負担がかかっていることも多々あります。そんな環境の中でも、働きたい、社会の一員でいたいという気持ちを尊重したかったのです。だったら、その時々に応じた働き方を選択するのがベスト、という考え方のもと制度をつくってきました。また、学びたいと思うタイミングも人それぞれ。資格取得も応援しています。
もともと社内コミュニケーションが非常に活発ですが、従業員とはよく話し、個人の希望、事情、技能・特性に合わせたキャリアステップを提示するようにしています。だからパートタイム従業員から正社員はもちろん、その逆もあります。一度退職して、落ち着いてから復職することも可能です。だって、優秀な人材には戻ってきてほしいもの。私のまわりの女性経営者たちもそうですが、みんな従業員を家族として捉えていますね。だから、一人ひとりに寄り添って、よりよい会社をつくっていけるんだと思います。
—2020年初頭の新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの働き方が見直されるようになり、テレワークが主流になりました。
コスモピアでは、2011年の東日本大震災によって業務に滞りが出たことをきっかけに、事業継続計画を立て、クラウドシステムの導入やペーパーレス化に着手し、よりスムーズにテレワークを実施できる環境を整えました。だから、コロナ禍でも特にあわてることなく業務を進めることができたんです。また、現在のオフィスには10年前に移転してきたのですが、その際にフリーアドレス制を導入。いろいろな方からのアドバイスを受け入れながら会社にベストな方法を選択してきたら、いつのまにか最先端な考えを持つ会社になってしまいました(笑)。
「これまで培ってきた女性メインの社風が、逆に男性社員に不快ではないかという心配も」
—来年(2023年)で創立40年です。長く続けられた秘訣はなんでしょうか?
起業するより廃業するほうが大変なんですよ。結婚するのは簡単だけど、離婚するのは大変でしょ?(笑)。会社として大きなリスクを負わず、赤字を出さないように経営していたことが、長く続けてこられた理由でしょうか。あとは、私も従業員もツライ仕事はしたくないので、苦しくない働き方ができる会社を心がけてきました。長く会社をやっていると、個人的なことから社会的なことまで、たくさんのピンチにも遭遇します。でも、何かが起こるたびに、目の前の対処を一生懸命やってきたことで会社としての耐性や底力が育まれ、乗り越えてこられたんだと思います。
—創業からしばらくは女性オンリーの会社でしたが、いまは男性社員もいるんですよね?
はい。専門性のある人を求めた結果、性別を問わなくなりました。ただ歴史的なこともあり、女性のほうが多いです。とはいえ、女性が働きやすい会社というのは男性も働きやすいということ。ただ、これまで培ってきた文化が女性メインなので、逆に男性が不快に思うことがあるのではないかという心配もあります。
「本当は能力があるのに、一段下のステージで満足するのはもったいない」
—この40年間で、女性の働き方は変化を続けてきましたが、今後、女性が本当の意味で活躍するために、働く女性の先駆けとして、また女性経営者として思うことはありますか?
女性に限りませんが、能力がある人が見合ったポジションについて、その能力を発揮できる社会になってほしいです。まだまだ社会的なジェンダーギャップがあり、その差別に自ら適応してしまっている女性が多いのも事実。本当は能力があるのに、責任を取りたくないから、面倒だからと一段下のステージで満足するのはもったいないと感じます。
いろいろな考え方や状況があると思いますが、少しでもチャレンジする気持ちがあるなら、もっと上を目指してほしいです。そして、そんなチャレンジをする女性をサポートするのも女性だと思います。いままで表に出にくかった女性の能力が認められ、決定権を持ち、社会の仕組みを変えるようにしなくては、日本は世界に打って出られないと考えています。
私は還暦を過ぎ、徐々に表舞台から降りる準備も考えています。これまでは会社を一番に考えていましたが、今後はがんばる女性たちをサポートする立場として、社会に役立ちたいですね。私の経験や知見を若い世代に伝えていきたいと思います。
<お話を伺った人>
株式会社コスモピア 代表取締役
田子 みどり(たご みどり)さん
🏢Company Profile🏢
取材・文:佐々木 美穗/撮影:田中 亜玲