【フィンランド】フィンランドとみんなをつなぐコーディネーター・こばやしあやなさん
日本全国でがんばっている女性を紹介する「のぼり坂47」プロジェクト。今回は、フィンランドでコーディネーターをメインに、ライター、サウナ文化研究家としても活躍中のこばやしあやなさんに聞きました。
フィンランドを知りたい人と現地をつなぐ、仲立ち役
私は、フィンランド在住のライター、サウナ文化研究家としても仕事をしていますが、あくまで本業はコーディネーターとして活動しています。
多いのは、フィンランドの特集を組むテレビ番組や雑誌、新聞など、日本のメディアの方からお声がけしていただく機会です。例えば、テレビの制作局の方や記者の方から連絡をいただき、日本で持ち上がった企画がどのような形で実現できるか、現地にいる私だからこそわかる情報をお伝えします。具体的に、「そういう企画なら、こういう取材はどうですか?」など、私から提案することも。
企画が決まり、いざフィンランドで取材を進めるとなったとき、今度は、行程のプラニングやロケハン、取材交渉などを行ないます。そして取材時は同行して、通訳をし、現地の人との間で円滑なコミュニケーションが取れるように仲立ちします。
内容は、旅行関係だけでなく、音楽、スポーツ、時事ネタまで、フィンランドのことなら何でも対応しています。
ピンとこなかったオーケストラの選曲が、今につながるきっかけに
私は高校時代からオーケストラをやっていて、高校最後の演奏会で、シベリウスというフィンランドの有名な作曲家の作品を演奏することになったんです。
でも、シベリウスは、高校生にとっては、その良さがわかりにくい音楽。練習していて、みんなの士気が下がっていくのを感じたんですね。当時、部長をしていたので、「これはまずい」と思って、私自身がシベリウスに近づこうと、とにかく図書館で調べました。
それでもまだピンときていなかったのですが、ちょうど、フィンランド出身の有名な指揮者が日本のプロの交響楽団とその曲を演奏するテレビ番組が放送されたんです。演奏にフィンランドの雄大な自然の映像がオーバーラップされていたのを見て、「この曲は、こういう自然あるところから生まれたのか」としっくりきた気がしました。そして、「初めて海外旅行に行くなら、フィンランドにしよう」と思ったんです。
それで、大学3年生の春休みを使って、ひとりでフィンランドに行きました。
当時、フィンランドの情報は、インターネットで検索してもほぼゼロ! だからといって業者にお世話になるのも高くつく。たまたま見つけたのが、現地のファームステイでした。農場に滞在させてもらって、お手伝いしながらフィンランドの田舎暮らしを体験するというものです。
行った先にはおじいさんがいて、お互いつたない英語でなんとかコミュニケーションをとるような状態。日中はヤギや馬の世話を手伝い、湖でアイスフィッシングをしてその魚を食べるなど、かなり充実した時間を過ごさせてもらいました。そして、サウナの初体験も。
こちらのサウナは、サウナストーブに乗っている石を十分温めておき、桶に入った水をかけ、出てきた蒸気を浴びるという「蒸気浴」なんです。
最初はサウナから出て湖に入るのに悲鳴を上げていたんですけど、2度目からは余裕が出てきて。氷点下の水に裸で浮かびながら、満天の星空を眺めていました。
初海外で初体験の連続でしたが、「いい国だな。もうちょっと住んでみたい」と思ったことが、今につながっているのかもしれません。
フィンランドで仕事をするために、計画を練りながら実行
大学時代に建築史の勉強をしていた縁で、2006年から1年間、フィンランドの大学の建築学科に留学しました。ちょうどその時期、フィンランドを舞台にした映画『かもめ食堂』が、日本で公開されたんです。私が行く前はフィンランドをフィリピンと勘違いされるような認知度だったのに、帰ってくる頃にはガラッと変わっていて。
「これだけフィンランドが人気なら、フィンランド語を勉強したら向こうで仕事ができるんじゃないか」と思い始め、日本に帰ってきてから本格的にフィンランド語の勉強をはじめました。
とはいえ、突然フィンランドに行っても仕事ができるわけではないので、まずはメディア業界での経験をつくるために日本の出版社に就職したんです。
海外旅行のガイドブックなどを制作している会社だったので、「海外にはコーディネーターという人がいて、現地での取材を取り持つ仕事がある」と知ることができました。一緒に仕事をさせていただいた各国のコーディネーターさんから仕事の内容や経営のことを聞いて、自分のなかでイメージができるようになっていました。
それで、2011年の6月にフィンランドへ。まずは滞在ビザが確実に保証される学生の道を選びました。
日本でも修士をとっていましたが、フィンランド・ユヴァスキュラ市にある、ユヴァスキュラ大学院の入試に挑みました。当時はフィンランド語力はまだ十分ではなかったのですが、論文が書けるレベルまで在学中に語学もがんばると面接で約束し、なんとか合格。修士論文は、「フィンランドの現代都市文化のなかで公衆サウナがどういう役割を果たしているのか」という社会学的なテーマで書き上げ、その年の最優秀論文に選んでいただきました。
実は在学中から、サウナをテーマにした記事を日本のWebサイトで書きはじめていました。そのおかげでお仕事をくださる方も増え、仕事は卒業前からはじめていたんです。それで学生の期間が予定より延びてしまったというのもありますね(笑)。
大学院を卒業した2016年の4月からコーディネーターの仕事に専念しはじめて、もうすぐ5年を迎えるところです。
日本と違って、フィンランドでは個人事業主でも一企業として扱われるのですが、すごいと思ったのは、スタートアップの支援は自治体が全部やってくれること。起業講座も無料で受講でき、個人的なコンサルティングも初期は無料。そして事業が軌道に乗るまで毎月約10万円を支給してくれました。その代わり、半年ごとに業績や今後の改善点などを話し合って進めていきます。
私は、1年で経済的に安定できたので、サポートから離れて本格的にひとりでやっていけるようになりました。
再び対面でコミュニケーションを手助けできる日がくるまで
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で日本からのフィンランドのロケ取材がストップしてしまいました。みなさんとロケをやる機会がもう1回戻ってきてほしいと願っています。
今はありがたいことに、自分ひとりで行う取材や撮影、バーチャルツアーなどオンラインのお仕事をいただく機会が増えています。私自身もYou Tubeのような自主メディアを立ち上げるべきかとも検討したのですが、やっぱり好きなのは、対面して人とコミュニケーションをとっているとき。配信だと一方通行で、相手の顔が見えないのはちょっと寂しいと感じます。
ロケのお仕事では、取材メンバーがひとつのロッジで寝泊まりすることもあって、まるで合宿モード。そこで仲良くなれるのが楽しいんですよね。
オンラインでさまざまなことができる時代になってきていますが、私は人とのコミュニケーションを直接手伝いたいという気持ちがあります。今は、それをなんとかつなぎ止められるよう、仕事をしていきたいですね。
全国の女性へメッセージ
日本だと、「何歳になったらそろそろ結婚を」とか、何歳になったら○○すべきという風潮がありますが、フィンランドはそういうことを言われるのが少ない国なんです。
どんな生き方をしていても、全然まわりに変な目で見られないというか、「あなたはあなたね」で終わり。といっても、困っていることがあったときに声をあげたら、助けてくれる人たちです。
人にとやかく言われず自分で意思決定していきたいと思っているし、相手もそうだろうと考えているからだと思います。そうやって人の目を気にせず、自分で生き方を決められるようになると楽しいですよね。
また私の場合、たまたま日本でフィンランドブームのときにフィンランドに関わっていて、今度は、サウナのことを研究・発信しているときにサウナブームが来て…と、自分でつくったブームではないですが、突然大きな転換期が訪れました。
外にアンテナを張っていたり、自分の好きなものに常に触れる余裕を持っていたら、人生が変わることがありますよ。私は2回もありました!
★好きな言葉★
小説家の江國香織さんの本で読んだ一節で、コーディネーターや執筆家、サウナ文化研究家としての仕事において、私がとても共感し、大切な指針にしていることです。
今のご時世、現場へ赴かなくてもインターネットやメディアと通していくらでも情報を得られますし、自分が見聞きしたかのように文章を書いたり、語ったりすることも容易です。
けれど、むしろそのような時代だからこそ、自分自身がその場を訪れて自分の目で見たこと、五感で感じたこと、そして自分がたまたま出会った人や風景の生きたエピソード、コミュニケーションの軌跡を何よりも大切にしていくべきだと思っています。
フィンランド在住のコーディネーター
こばやしあやなさん
北欧フィンランドにて、中部・湖水地方の中心都市ユヴァスキュラを拠点に、現地在住ライター、メディアコーディネーター、翻訳・通訳者として活動。得意分野は全国各地のツーリズム、文化芸術全般、ライフスタイル、人物取材。フィンランドの「今」を伝える仕事に対して、どんな依頼にも協力するスタンス。ユヴァスキュラ大学在学中に学内最優秀論文に選ばれた修正論文をベースに日本人向けに書き下ろした『公衆サウナの国フィンランド(学芸出版社)』を販売中です。
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