私の親は名の知れている存在。コネや財産があっていいねと言われますが、一切ないし凡人ですし……。【ライムスター宇多丸のお悩み相談室255】
✳️今週のお悩み✳️
私の親は、とある業界ではある程度名が知れている存在です。その為、そのことを知っている人と会うと必ず”〇〇さんの子ども”というレッテルを貼られることになってしまい、少し近しい関係になると「あなたは良いよね、コネがあって」とか、「お嬢様だよね」というようなことを言われてしまうことがあり、困惑します。実際は、イメージが先行しているだけで、そのようなコネや財産は一切ありませんし、だからといってどれだけ否定しても「またまた、ご謙遜を」という風に流されてしまうだけで、徒労感だけが残ります。また、このことを誰か知り合いに相談してみても、またそれはそれで自慢だと捉えられてしまうだろうし、悶々とした気持ちを抱えたままです。私がそのようなイメージを払拭できるような存在になれればよいのかもしれませんが、あいにく凡人中の凡人ですし、そのことを考えれば考えるほど、自らの何もなさにも落ち込みます。もしなにか対処法があればお答えいただけると嬉しいです。
(まゆげ太郎・27歳・会社員・東京都)
宇多丸:
これ、まゆげ太郎さんは結局、親御さんが名を成したという「とある業界」に、わりと近いところにいるってことかな?
だとしたら、何かと比較されたり勘ぐられたりするのはしんどいですよね、それはやっぱり。
ちなみに……、僕の父も、精神医療界ではなかなかの有名人で。 もし仮に僕が彼と似たような道を進んでたら、やはり同じようなことで苦しんだのかもしれないな、と。
たまーに、こういうお悩み相談とかやってると、「宇多丸さんはさすが精神科医のご子息だけあって、カウンセリングがうまい!」みたいなこと言われるんだけど、別に父からそういう技術を教えてもらったわけじゃないし、そこは関係ないよ!って(笑)。 まぁ、お褒めの言葉としてありがたく頂戴しておきますが。
こばなみ:
なんだかんだ、言われるは避けられないのですね。
クリエイティブ業界も二世、多いですよね~。親子で写真家とか、親子で建築家とか、友達でいますが。
宇多丸:
むしろそういうセンスや感性方向のほうが、育つ環境そのものに影響される割合、多そうではあるけどね。それも偏見かな?
話を戻すと、まゆげ太郎さんの悩みは、大きく分けて二つに整理できるよね。 まずは、勝手に比較してきたり、コネでしょとか金持ちだからとか決めつけてくる連中がウザいんですけど、という問題。 もうひとつは、長年その手の不躾な視線を浴びせられ続けた結果か、まゆげ太郎さんご自身がそういう比較を内面化してしまっていて、コンプレックスから抜け出せずにいる、という問題ですね。
前者に関してはもう……、この件に限らず、前にも言ったように人というのは結局、現実や事実をねじまげたり無視してでも、基本的には自分が見たいものしか見ようとしないし、聞きたいことしか聞こうとしない生き物でもあって。 その危険性をきちんと自覚して、気をつけなきゃとか誤りはすぐ正そうとかいう意識も特にないまま、的外れかつ無神経な言動をたれ流しているような人っていうのも、残念ながら世の中には一定量いるからさ。 そういう人には、ぶっちゃけ何を言ってもムダですよね。どんなにこっちがそうじゃないって切々と訴えても、最初の思い込みから一歩も動こうとしてくれない、というか、そもそも「考え直す」ための知性や品性を欠いているかのようにしか見えない皆さんというのは絶対にいるし、根絶はできない。
だからそこに関してはさ、前に提案したように、「よく芸が仕込まれたチンパンジーだなぁ」とか思うようにして、いちいち食らいすぎないようにする、くらいしか妥当な対処法ってないんじゃないですかね。 わぁ~、会話できてるみたいですご~い、お利口さ~ん!って(笑)。
こばなみ:
そう考えると、「またまた、ご謙遜を」とかって言われちゃ、なにを答えても同じな気がしてきました。
宇多丸:
そうね。
もしくは、正面から衝突するのを恐れずに、こちらもしつこく正論を説くのを諦めないか。
「そういうこと言われると普通に不快なんで、今後あなたのことは、嫌う、憎む、軽蔑する、そういった方向でカテゴライズさせていただきますけど、それで構いませんか?」 「あと、私がいくら否定しても事実と異なる認識を改めていただけないようなので、こちらも“あの人は話を聞いてくれないし勝手なでっち上げをする”旨、周囲とコンセンサスを取らせていただきますので、あしからず」 ……とか、現実に面と向かって言えたらいいんだけどね~!(笑)
でも、内心そう思うだけでもちょっとは溜飲、下がらないかな?
こばなみ:
自分のなかでの整理はできそうですね。
宇多丸:
それよりもっと全然厄介なのは、やっぱり後者の、まゆげ太郎さん自身の自意識の問題のほうだよね。
たとえば、歴史上の偉人や有名人のご子息や子孫は、実際どんな人たちでどう人生を過ごしたのか、みたいなことをいろいろ調べてみるのはどう? 間違いなく、ガチでダメダメだった人も山ほどいるでしょ。凡人ならまだマシだ!と思えるくらい(笑)。
こばなみ:
ちなみに宇多丸さんは、医者になろうと思ったことはあるんですか?
宇多丸:
ビタイチ思ったことない!
学力的にもたぶん論外だったし……(笑)。
まぁ、普通に尊敬してますって感じですよ。
だからそんな感じで、親が残した偉大さというのは変えようがないわけだし、もちろんわざわざ否定する必要もないんだから、そこは素直に受け入れた上で……のほうが、むしろ「自分は自分」スタンスが確立しやすいのでは、という気もしますね。
あと、「この人の子どもに生まれてよかったな」と思えるポイントのほうを意識するようにしてみるとか。
僕だったら、別に金持ちとかではまったくないんだけど、特に文化的な教養が自然に身につくような環境にいたことは、やっぱりラッキーだったと思うし、父母ともにそこは本当に感謝してる。 そういう風に、まゆげ太郎さんも、その親御さんだったからこそ、のポジティブな部分をまず考えるようにするのはどうでしょう。
だってさ、親がダメだったから子どもの自分が困ってますってケースのほうが、世の中絶対的に多いはずだよ。 それこそ、ロクに教育を受けさせてもらえなかったとか、最悪暴力振るわれ続けてたとか。 それに比べれば、ねぇ……。 さらにものすごーく優等生的なことを言えば、まゆげ太郎さんの境遇をひがまずにはいられないような人たちも、ひょーっとしたら、その手の極度にネガティブな家庭環境で育ったのかもしれないし……、少なくとも、まゆげ太郎さんよりはやはり間違いなく恵まれてなかった可能性、というのに思いをはせることはできるはず。
逆に、はたからはどれだけ立派に見えるような親でも、近くにずっといた身としては、「いやでもこの人、こういうとこは全然ダメなんですけど」みたいな部分があったりもするわけじゃん。 そうやって、要は親だってやっぱり、欠点だらけの、自分と同じようなひとりの人間にすぎないんだ、ってことを受け入れていくというのは、「大人」になるための大事なプロセスのひとつだと思うんですけど、まゆげ太郎さんもそろそろ、そういう相対化を親御さんにしていい頃合い、というのもあるかもしれない。 一回サシ飲みにでも誘って、本音でもぶつけ合ってみれば?
いずれにしても、まずはまゆげ太郎さんご自身が、親御さんに対する気持ちや考え方を整理するのが先決だと思う。 それがしっかりできたなら、外野の雑音は比較的どうでもよく思えてくるんじゃないでしょうか。 うまく折り合いがつくことをお祈りしております!
【今週のお絵描き】
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この記事は、女子部JAPAN公式WEBで2018年10月20日に公開したものを再編集し、掲載しています。