「子どもがいない人は守るものがないからのん気」という身近な人の差別的発言、どうしたらいい?【ライムスター宇多丸のお悩み相談室415】
✳️今週のお悩み✳️
身近な人の「差別的発言」について気になっています。私の職場の先輩で、仲良くしてもらっていて、とても楽しい方なのですが、たまにある「差別的」な発言。よくあるのが子どもがいない人に向けて「守るものがないからのん気なんだ」などで、気になります。私は既婚ですが子どもはいないので、まさにその「のん気」に値するのかもしれませんが、なんだかいつも気分が悪いです。先輩は私にというより一般論のような感じで言ってるみたいなので悪気もないのですが、それ聞いて嫌な気持ちになる人がいるのになあとは思ってしまいます。前に一度、そんなことはないのでは?と言ったことはありますが無視されたので根本的な考えは変わらないと思います。でも、守るものって自分自身のこともそうだし、親や兄弟だっているし、なんで子どもだけが尊いものみたいになっているのでしょうか。別に私は子どもが嫌いなわけではないのですがそういう発言を聞いていると妙に敏感になってしまい、逆に私が気にしすぎで差別的になっているのではないかと、よくわからなくなってきます。なんの相談なのかよくわからなくなってしまったのですが、自分の気持ちの落ち着きどころを教えてもらいたいのかもしれません。
(サヨ・36歳・東京都)
宇多丸:
先輩の発言が大変無神経なのは言うまでもないし、残念ながらその手の物言いを「悪気なく」するような価値観が、少なくとも日本社会にはまだ根強いというのもたしかですよね。
もちろん、実際子どもを育ててみなければわからない苦労や、それと裏腹の自負というのがそれぞれにあるのは当然だし、いっぽうで、まだまだ決して子育てしやすい環境が整っているとは言いがたい現状があるなか、そんなこんなをてんでわかってない=「のん気」に見える世の中全体に、いらだちや怒りがつのっていたとしても無理からぬことかもと思います。
ただ……、だからといって、子どもを持たない生き方をあからさまに見くだすようなところまで自らを特権化しちゃうと、とはいえ結婚~出産~育児というコースを歩むのが主流とされていることに変わりはないこの社会のなかでは、事実上多数派が少数派を否定するという、はっきり差別的、抑圧的な構造にもなってしまうわけですよね、やはり。
ある事柄に関しては少数派、抑圧される側だと自認している人が、別の面では多数派、意図せずして抑圧する側になっていたりもする、というようなことは世にいくらでもあって、これはまさにその一例と言っていいかと。
いわゆる「インターセクショナリティ」という考え方で、アイデンティティというのが複合的、多層的なものである以上、誰もがそこは謙虚に気をつけてゆかなきゃいけないことなんだけど……、とりあえずその先輩は、そういうのをまるで気にしてなさそうですよね。
こばなみ:
ここ最近は減ってきたように思うけど、それでも「え? まだそんなこと言う!?」みたいに驚くことは、たまにありますよね。
宇多丸:
だし、僕らの生活圏がそれでもまだマシなだけで、保守的なムードが主流な場所ではむしろ、今もわりと普通に流通してる感覚なのかもしれないし。
実際、そういうことを悪びれずもせず公言してとくに怒られもしてないような政治家が、国会や地方議会にはゴロゴロいたりするわけでしょ?
あとは、この件に限らず、何かを「守る」ために云々かんぬん、という論法自体、安易に使われがちだし一見いいこと言ってる風だけど、ともすると簡単に「他者」への暴力や不寛容の正当化、なんなら美化にさえ転じてしまうような危うさをはらんでいる、と僕はつねづね考えていて。
そういう乱暴になりやすい論理を、まるで無条件の「善きこと」のように持ち出してくるような人たちこそ、怖いなと思ってますよ。
しっかし、子どもがいないと「守るものがない」人扱いって……、僕らどんな人間だと思われてんのかね(笑)。
そもそも子どもを持ってないとか結婚してない理由だって、千差万別なのに。
こばなみ:
子どもが欲しいけど、そうできない人もいるわけだし、一概に結果だけで語られるのもつらいというか……。
宇多丸:
産みたくても産めない人に先輩みたいな言葉を直接投げかけたりしたら、それはもうシンプルに、ただの暴力だよ!
無論ですが、これまでも何度となく言ってきたように、子どもがいようがいまいが、どんな人生にもそれぞれの地獄はあり得るし、当然天国もあり得る。
どっちが偉いとか下とかいうもんじゃないし、事実ジャッジのしようがない。
つまりはただただみんな必死で生きてるだけ! それ以上でも以下でもない。
なのに、なんでその先輩を始め、そういう的外れな説教みたいなことを言いたがる人が後を絶たないのかというと……。
要はこれって、前のひとりっ子差別の件とか、前回の「真面目だよね」の話とかとも通じるけど、つまるところ「自分の生き方や在り方を肯定したいし、してほしいけど、とはいえそこまでの自信も根拠も実はないため、とりあえず自分とは違う選択や資質を見くだしてみせることで、相対的に自分は上であるような気になろう」っていう、おおかたそんな了見なんだと思いますよ。
まぁなんともさもしいし、浅薄だし、迷惑な行動原理なのは間違いない。
ただ、裏を返せば、先輩のそういう発言も、それだけ暮らしや心に余裕がない、ということの現れとも取れるわけですよね。
子どもがいない人はのん気に見える……というのはつまり、自分は子どもがいるからいつもギリギリなんだ、という嘆きの裏返しとも解釈できる。
それが無意味とは思いたくない、そのほうが有意義なんだと思いたいから、逆にその苦労をしてない人生は軽い、と断じるところからつい始めてしまいたくもなるのかもしれない。
つまり、根っこにはやはり、たとえばさっき言ったような「決して子育てしやすい環境が整っているとは言いがたい現状」というのが、切実にのしかかっているのかもしれないと思うんですよね。
皮肉なことに、まさにその「決して子育てしやすい環境が整っているとは言いがたい現状」がゆえに、子を持たない選択をした、もしくはせざるを得なかった人たち、というのは割合としてむしろ少なくないはずで。
要は、本来敵対するどころか、同じ問題意識を共有する者同士なのかもしれない話なんですよね。
その意味でもやはり、子どものあるなしで特に女性同士が対立するなんてホントに不毛の極みだし、真に向き合うべき問題を見えづらくしてしまうので、はっきり有害でもあると思う。
だから、もしサヨさんがその先輩と本当にいい関係で、今後も余計なモヤモヤ抜きに付き合い続けたいなら、一度もっと本気で、無視できない勢いで反論してみるというのもアリなんじゃないか、とは思いますけどね。
「先輩はいつもそう言いますけど、それを言われて、同じく子どものいない私がどう感じるかを考えたことって、ありますか?」って。
ひょっとすると、すぐに「いや、これはあなたのことを言ってるんじゃなくて」「あなたはしっかりしてるからそうじゃない」みたいな言い訳を慌ててしてくる可能性もあるけども。
そしたらすかさず、「じゃあ、先輩が文句を言ってるその人たちだって、実は私と同じかもしれないじゃないですか?」。これで王手ですから!
「先輩のことは好きですが、できればその考えは改めてほしい、なぜならそれは大変暴力的に響くから」ってなことを、一度ビシッと言ってやったらいい……と、僕の理想としては思いますけど。
ただまぁ現実的には、職場でそこまで白黒つけてピリッとさせるというのも、難しいんですかねぇ。
こばなみ:
私はちょっと下向いたり、黙ったりはしちゃうと思います。憮然とした態度は出す。
でも本当は、その人のことが好きならなおさら、宇多丸さん案みたいにちゃんと言ったほうがいいですよね。
宇多丸:
いや! よく考えたら僕はそれで以前よく、目上の人にキレられてたので! 一般にはやはりあまりおすすめしちゃいけないのかもしれない、「真正面から正論で詰め将棋」は(笑)。
ひとつ言えるのは、サヨさん側が差別的になってしまっているのかも?という心配は、力関係上あり得ないので、無用です!
「差別」とは、端的に言って「力を持ってる側が持ってない側を一方的に切り分けて下の扱いをすること」であって、その逆はないので。
さっきも言ったように「結婚~出産~育児というコースを歩むのが主流とされている」社会のなかでは、それ以外の非主流派がそちらを「差別」することなど、構造的にできないんですよね。
たとえば、女性差別が厳然として残る社会では、一部の幼稚な主張のように女性が男性を「逆差別」することなどそもそも不可能である、というのとちょうど同じですよ。
ちなみに、そうした性差別的社会構造の根本、平たく言えばなぜ日本ではここまで女性の地位向上が進まないのかを、政治面から冷徹に分析してみせたのが、安藤優子さんの『自民党の女性認識』という素晴らしい本で。
人々の意識は大幅に進歩しているはずなのに、どうして世の中こんなにも変わらないのか、そのデータ的回答がここに!
ぜひ女子部JAPANの皆さんにもおすすめしたいです。
こばなみ:
買いました! 読みます!
宇多丸:
とにかくサヨさんには、少なくともこの件に関して自省するべき点など、まったくないですから。
こばなみ:
私も多勢に押されることがあり、逆に自分が変なのか? 自分がいけないのか?など思ってしまうことがあるので、今回のサヨさんの気持ちもわかります。
宇多丸:
とかくそう強迫的に思わされてしまいがち、という時点で、あまり健全な空気じゃないのはたしかですよね。
でも、ホントに一番いいのはさ、子どもを産もうが産まなかろうが誰もが楽に生きられる、そういう社会のはずじゃん?
それこそ少子化対策だって、本当はそこを目指す以外に真の解決策なんかないはずでしょ、と僕は考えてますけど。
でも、残念ながら今の日本の社会は逆に、当然特に女性ですけど、産む人にも産まない人にも、あんまり優しくない状態なわけで。
つまり、本来ならそういうおかしな世の中に対して、連帯して戦っていたっておかしくない者同士が、しかしまんまと分断、対立してしまったりしているという……これはホント良くないよね!
先輩と、こうしたことを後腐れなく話し合えるような関係ならいいんですけどね……。
しかし、たとえ現実にはそうもゆかない感じだとしても、それ以前にサヨさん自身が、自分は一個も悪くないし引け目や後ろめたさを感じさせられる筋合いもいっさいない!という確信を、より強く持つということが肝心なんじゃないですかね。
そこが揺るぎさえしなければ、とりあえず人が何を言おうとある程度気は楽に保てるのではないか、と。
そのうえでたとえば、ほかにも先輩の無神経発言で傷つきかねない人がその場にいたりして、要は自分が黙って飲み込んでしまうと差別的言説の流布を是認したことにも事実上なってしまうような局面であれば、そこはやはり、ちょっぴり勇気を振りしぼってでも、最低限言うべきことは言う、ということであってほしいと、僕個人は願っておりますが。
でもまぁもちろん、無理はせずで!
こばなみ:
もしそういう状況があったら、同じ境遇や選択の人たちのためにも、行動しようかなと私は思いました。理詰めはできないけど、それマズいよっていう意思表示はする。無理せずに、ですけどね。サヨさんも気持ちの落ち着きどころが見つかったらいいな。